実は、徹底的にやりたいけど、やむなく中断もありでなかなか片付きません。
「まだ押入れやってるの?」と言われそうですが、出したり入れたり繰り返しています。
もちろん、「本当は、こうやりたい」という理想はありますが、それにはお金もかかったり、体力も必要だったりするので、なんとか、今あるものを上手につかって片づけたいと思いつつも、気に入らない感じで、また出してやりなおしなど繰り返しています。
妥協するくらいなら、どうでもいいって感じになるタイプ
私は、そういうタイプなのです。
もちろん、完ぺきとは言いません。
でも、やるならある程度、満足いく形にしたいと思うのです。そうしないと、少しずつ少しずつ、妥協していくうちに、まったく「そこは見たくない場所」という妥協の産物的なスペースが出来上がります。
結果的に、「きちんと片付いていれば、それはそれでいいんだ」と自分に言い聞かせるわけですが、やはり、どうしても、気になってしまいます。
その結果、もう、どうでもよくなっていくんですね。

そもそも、もとはきれい好き、インテリアにこだわりたいタイプだったけど…
これは性格的なものですね。
インテリアや住む家のグレードの変遷によって、
だんだん、あきらめというか、なげやりというか、そういう風になっていった、この30年でした。
住んだ家の変遷
大きな家から、どんどん小さな家に引っ越して、窓がないワンルームに2年ほど住んでいたこともあります。
精神的な抑圧は相当なものでした。
生まれた家は、料亭だったところを買い取った家だったので、純和風の中庭と大きな敷地に、周り廊下が回廊のようになった家で、子供のころは、大きすぎて怖かった覚えがあります。その後、嫁いだ家は、大草原の小さな家にでてくるような家でしたが、かなり大きかったロッジ風の家でした。11人家族のヨメです(苦笑).
自分で建てた家は、5SLDKで、当時では珍しい、家事室やパントリーをキッチンと周り廊下でつないだ動線があり気に入ってました。設計図もパースも自分で書いて、プロの設計士さんに、その通りに書き上げてもらって建てた家でした。
システムキッチンが出始めのころに建てた対面キッチンの家。46畳のリビングダイニングでした。
しかし、その後バブル崩壊の余波が遅れてやってきました。
結局、店(陶芸ギャラリー)を閉め、家を手放し離婚。
紆余曲折で、3畳と4.5畳の二間暮らしとか、6畳ひとま暮らし、ホームレスで間借りもしました。
そうなってくると、だんだん、どうでもよくなっていくんですよね。人生をあきらめ始めていましたからね。
そして、そこに娘の死です。今でも、娘は「わたしがころした」と思っています。

その結果、精神的にどん底まで落ちて、引きこもり、食べて寝るだけの年月。
死にたい、死にたいと思い続けた年月。
どうでもよくなった年月。
そして、
この十年で、完全に汚部屋になってしまった、今の賃貸なんです。
しかし、なんとか、リセットして残りの人生を歩みきりたい
それを、今、きれいにリセットしようとしてやってるわけです。
精神的にもギリギリの気持ちを、立ち直らなければならぬの気持ちで動いています。
でも、ネットの世界はいろんな人がいますからね。SNSは、BAD連打と、コメントで人もころせる時代です。
でも、そんなことにめげてはいられません。

とにかく!
長くかかるかもしれませんが、まだまだ、やっとこ動いてる感じですが、続けて、部屋の片づけをやろうと思っています。